江戸 時代 の 平均 寿命。 ビジネスに効くデータサイエンス:「江戸時代の平均寿命は30歳」はなぜ「江戸時代の人は30代で死ぬ」ではないのか=松本健太郎(データサイエンティスト&マーケター)

江戸時代の平均寿命はなぜ極端に短いのか?その意外な理由と気になる死因とは(4)

平均 の 寿命 時代 江戸

公開日:2018年9月25日 最終更新日:2020年8月19日 厚生労働省が調査し、2018年7月20日に発表した「平成29年簡易生命表」によると、2017年の 日本人の平均寿命は男性81. 司法省調査課, 「諸国領知田畑町歩並人数可書出旨御書付」, 『司法資料 第百八十三号 徳川禁令考 第六帙 』, 「第六十六章 戸籍調査統令」, p. なお安永5年 1776年 の身分別人口の合計 下表 と総人口 上表 が一致しないが、おそらく町方人口などの身分別人口の数値に誤りがあると思われる。 7歳を迎えるまでは 「人間の形はしていても魂が遊離しやすい不安定な状態」 と考えられており、7歳になってようやく人間社会の一員とされました。

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日本人の江戸時代ぐらいからの平均寿命の推移を知りたい。

平均 の 寿命 時代 江戸

米沢藩総人口の変遷 元号 西暦 総人口 男 女 出家・ 修験・ 座頭 元号 西暦 総人口 男 女 出家・ 修験・ 座頭 元号 西暦 総人口 男 女 出家・ 修験・ 座頭 元号 西暦 総人口 男 女 出家・ 修験・ 座頭 元禄5年 1692年 133,259 77,825 54,002 1,432 元文元年 1736年 114,307 65,337 47,672 1,298 安永9年 1780年 103,628 56,052 46,527 1,049 文政7年 1824年 110,183 56,990 52,343 850 元禄6年 1693年 132,189 77,304 53,462 1,423 元文2年 1737年 113,983 65,078 47,617 1,278 天明元年 1781年 103,789 56,139 46,637 1,013 文政8年 1825年 110,341 56,990 52,499 852 元禄7年 1694年 131,966 77,254 53,268 1,444 元文3年 1738年 113,314 64,606 47,424 1,284 天明2年 1782年 103,569 55,887 46,717 964 文政9年 1826年 110,859 57,150 52,856 853 元禄8年 1695年 132,187 77,412 53,304 1,471 元文4年 1739年 112,315 63,895 47,129 1,291 天明3年 1783年 103,991 55,991 47,030 970 文政10年 1827年 111,710 57,541 53,315 854 元禄9年 1696年 131,973 77,375 53,117 1,481 元文5年 1740年 112,378 63,753 47,339 1,286 天明4年 1784年 103,281 55,418 46,188 975 文政11年 1828年 112,854 58,095 53,914 845 元禄10年 1697年 130,568 76,622 52,406 1,480 寛保元年 1741年 111,578 63,246 47,061 1,271 天明5年 1785年 100,946 53,954 46,048 944 文政12年 1829年 113,619 58,426 54,343 850 元禄11年 1698年 130,102 76,410 52,196 1,496 寛保2年 1742年 111,458 62,938 47,261 1,214 天明6年 1786年 100,381 53,645 45,805 934 天保元年 1830年 113,860 58,437 54,566 857 元禄12年 1699年 129,734 76,282 51,942 1,510 寛保3年 1743年 111,283 63,054 46,967 1,260 天明7年 1787年 99,985 53,405 45,661 921 天保2年 1831年 113,651 58,306 54,477 868 元禄13年 1700年 128,696 75,773 51,429 1,494 延享元年 1744年 111,118 62,784 47,072 1,262 天明8年 1788年 99,508 53,121 45,467 920 天保3年 1832年 114,373 58,666 54,833 874 元禄14年 1701年 128,407 75,705 51,206 1,496 延享2年 1745年 110,178 62,124 46,796 1,258 寛政元年 1789年 99,123 52,868 45,338 917 天保4年 1833年 114,999 59,052 55,071 876 元禄15年 1702年 128,031 75,475 51,055 1,501 延享3年 1746年 110,064 62,069 46,752 1,243 寛政2年 1790年 99,296 52,919 45,421 956 天保5年 1834年 115,300 59,112 55,313 875 元禄16年 1703年 127,062 75,014 50,575 1,473 延享4年 1747年 110,232 62,159 46,842 1,230 寛政3年 1791年 99,119 52,852 45,366 901 天保6年 1835年 114,109 58,452 54,777 880 宝永元年 1704年 126,513 74,707 50,316 1,490 寛延元年 1748年 109,882 61,836 46,813 1,233 寛政4年 1792年 99,085 52,759 45,427 899 天保7年 1836年 115,085 58,977 55,239 867 宝永2年 1705年 125,954 74,394 50,093 1,467 寛延2年 1749年 108,885 61,105 46,549 1,231 寛政5年 1793年 99,785 53,106 45,793 886 天保8年 1837年 114,983 58,890 55,223 870 宝永3年 1706年 124,893 73,846 49,624 1,423 寛延3年 1750年 108,859 60,996 46,625 1,238 寛政6年 1794年 101,124 53,703 46,527 894 天保9年 1838年 113,404 57,912 54,534 878 宝永4年 1707年 124,540 73,663 49,452 1,425 宝暦元年 1751年 108,623 60,828 46,549 1,246 寛政7年 1795年 102,236 54,188 47,142 906 天保10年 1839年 113,113 57,834 54,411 868 宝永5年 1708年 123,852 73,368 49,077 1,407 宝暦2年 1752年 108,858 60,869 46,746 1,243 寛政8年 1796年 101,507 53,700 46,913 894 天保11年 1840年 112,968 57,787 54,334 847 宝永6年 1709年 123,403 73,157 48,869 1,377 宝暦3年 1753年 109,068 60,887 46,945 1,236 寛政9年 1797年 103,721 54,768 48,053 900 天保12年 1841年 113,973 58,297 54,824 852 宝永7年 1710年 122,245 72,535 48,369 1,341 宝暦4年 1754年 107,996 60,196 46,580 1,220 寛政10年 1798年 104,395 55,044 48,463 888 天保13年 1842年 114,974 58,787 55,325 862 正徳元年 1711年 122,385 72,708 48,361 1,315 宝暦5年 1755年 107,317 59,722 46,378 1,217 寛政11年 1799年 105,047 55,303 48,958 786 天保14年 1843年 115,010 58,788 55,354 868 正徳2年 1712年 122,110 72,441 48,380 1,289 宝暦6年 1756年 106,390 58,912 46,266 1,202 寛政12年 1800年 106,213 56,238 50,010 841 弘化元年 1844年 115,695 59,135 55,683 877 正徳3年 1713年 120,705 71,598 47,785 1,304 宝暦7年 1757年 102,628 56,381 45,059 1,188 享和元年 1801年 107,110 56,238 50,010 863 弘化2年 1845年 116,598 59,547 56,169 882 正徳4年 1714年 120,711 71,503 47,874 1,331 宝暦8年 1758年 100,900 55,354 44,382 1,163 享和2年 1802年 106,965 56,070 50,037 858 弘化3年 1846年 117,689 60,105 56,715 869 正徳5年 1715年 121,194 71,663 48,200 1,331 宝暦9年 1759年 100,007 54,862 43,980 1,165 享和3年 1803年 106,121 55,529 49,744 848 弘化4年 1847年 118,799 60,673 57,261 865 享保元年 1716年 120,606 71,287 47,961 1,358 宝暦10年 1760年 99,369 54,575 43,640 1,154 文化元年 1804年 105,888 55,529 49,744 839 嘉永元年 1848年 119,995 61,270 57,855 870 享保2年 1717年 120,650 71,261 48,058 1,331 宝暦11年 1761年 99,552 54,667 43,706 1,159 文化2年 1805年 106,760 55,895 50,015 850 嘉永2年 1849年 119,804 61,189 57,746 869 享保3年 1718年 120,609 71,179 48,086 1,344 宝暦12年 1762年 100,024 54,871 44,013 1,140 文化3年 1806年 107,547 56,292 50,410 845 嘉永3年 1850年 120,638 61,544 58,228 866 享保4年 1719年 120,099 70,825 47,932 1,342 宝暦13年 1763年 100,560 55,091 44,360 1,109 文化4年 1807年 107,192 56,075 50,265 852 嘉永4年 1851年 121,856 62,035 58,930 891 享保5年 1720年 118,615 69,811 47,404 1,330 明和元年 1764年 101,489 55,559 44,783 1,127 文化5年 1808年 107,052 55,908 50,303 841 嘉永5年 1852年 122,361 62,236 59,244 881 享保6年 1721年 118,537 69,129 48,039 1,369 明和2年 1765年 101,845 55,759 44,960 1,126 文化6年 1809年 107,453 56,092 50,505 856 嘉永6年 1853年 123,355 62,745 59,732 878 享保7年 1722年 118,209 68,902 47,933 1,374 明和3年 1766年 102,434 56,065 45,278 1,091 文化7年 1810年 108,313 56,387 51,023 904 安政元年 1854年 124,128 63,174 60,060 894 享保8年 1723年 117,881 68,674 47,826 1,386 明和4年 1767年 102,485 56,094 45,290 1,101 文化8年 1811年 108,949 56,782 51,285 882 安政2年 1855年 124,709 73,440 50,376 893 享保9年 1724年 117,134 68,192 47,589 1,353 明和5年 1768年 102,020 55,869 45,063 1,088 文化9年 1812年 108,998 56,693 51,432 873 安政3年 1856年 125,130 63,652 60,571 907 享保10年 1725年 116,702 67,811 47,468 1,354 明和6年 1769年 102,434 56,065 45,278 1,091 文化10年 1813年 108,985 56,634 51,496 855 安政4年 1857年 125,685 63,890 60,875 920 享保11年 1726年 115,660 67,242 47,079 1,345 明和7年 1770年 102,905 56,246 45,578 1,081 文化11年 1814年 109,126 56,688 51,573 865 安政5年 1858年 126,207 64,076 61,231 900 享保12年 1727年 115,096 66,773 46,984 1,340 明和8年 1771年 103,818 56,700 46,041 1,077 文化12年 1815年 109,773 57,008 51,890 875 安政6年 1859年 127,080 64,503 61,688 889 享保13年 1728年 115,015 65,593 44,074 1,348 安永元年 1772年 104,042 56,773 46,190 1,079 文化13年 1816年 110,511 57,308 52,328 875 万延元年 1860年 127,860 64,730 62,221 909 享保14年 1729年 114,207 65,199 46,857 1,351 安永2年 1773年 103,961 56,636 46,234 1,071 文化14年 1817年 110,947 57,512 52,563 873 文久元年 1861年 128,313 65,037 62,383 893 享保15年 1730年 114,429 65,954 47,097 1,378 安永3年 1774年 103,901 56,573 46,297 1,067 文政元年 1818年 111,107 57,645 52,603 859 文久2年 1862年 129,003 65,415 62,692 896 享保16年 1731年 114,051 65,654 47,043 1,350 安永4年 1775年 104,154 56,646 46,444 1,064 文政2年 1819年 110,998 57,585 52,574 839 文久3年 1863年 127,773 64,937 61,946 890 享保17年 1732年 113,711 65,313 47,055 1,343 安永5年 1776年 104,498 56,766 46,655 1,082 文政3年 1820年 109,602 56,825 51,946 921 元治元年 1864年 127,588 64,967 62,243 890 享保18年 1733年 113,975 65,308 47,333 1,343 安永6年 1777年 103,625 56,279 46,277 1,069 文政4年 1821年 109,603 56,791 51,980 832 慶応元年 1865年 128,103 64,967 62,243 893 享保19年 1734年 113,772 65,341 47,117 1,314 安永7年 1778年 103,702 56,380 46,263 1,059 文政5年 1822年 109,557 56,742 51,984 851 慶応2年 1866年 143,126 享保20年 1735年 113,762 65,042 47,415 1,305 安永8年 1779年 103,605 56,102 46,458 1,045 文政6年 1823年 109,726 56,816 52,076 834 慶応3年 1867年 144,153 73,091 70,084 638 また、米沢藩の身分別人口は以下の通りである。 おおよそ30才~40才だった!? 多くの研究者が江戸時代の平均寿命について推論していますが、試算結果にはばらつきがあります。

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遊女の平均寿命

平均 の 寿命 時代 江戸

このペースなら35年後でも、せいぜい5歳か6歳程度なのでしょう。

遊女の平均寿命

平均 の 寿命 時代 江戸

当時の統計上では、昭和22年生まれの人は「だいたい50才くらいで亡くなる」と予想されていたわけです。 江戸時代の平均寿命を押し下げているのは乳児死亡率です。

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明治時代における平均寿命は今の半分だったってホント?

平均 の 寿命 時代 江戸

たとえば、江戸時代においては5歳まで死ぬことなく健康に育つ子供が珍しく、生まれた子供の半分以上が5歳までに死亡していたという説もあります。 例として、厚生労働省「」をあげます。

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日本が長寿国になった本当の理由~江戸時代の平均寿命は30代だった!

平均 の 寿命 時代 江戸

そもそも労咳で死亡するのをみてもわかるように栄養失調が根本原因。 反対に平均寿命が50歳といっても皆が皆そんなに早死にしていたわけでもありません。

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